何をもってマスタリングを完成とするのか?

何をもってマスタリングを完成とするのか?

「何をもってマスタリングを完成とするのか?」

そう聞かれたときに今まではうまく言葉にできずに困っていたのだけれど、最近はズバリ何をもって完成にするか、というところが言語化できるようになってきた。

僕なりの答えは、右脳と左脳によるトリプルチェック。

それが終わったときに、マスタリングが終わっていることが多い。

 

実際に、マスタリングの工程の中で僕が何をやっているのか?

それを3つの段階に分けて説明をしてみよう。

1段階目 トラブルシューティング

まず、最初に、受け取った2mixにトラブルがないかどうかをチェックする。

ブライトすぎないか?ダークすぎないか?

特定の箇所だけ大きすぎてしまうようなことはないか?

コンプレッションは妥当か?

2mixの音量は市販レベルと同じになっているか?

などなど、ケースバイケースではあるものの、2mixにとってネガティブになる要素が何かを考えて、それらを一問一答的に解決していく。

 

これは極めてロジカルなアプローチであって、左脳的に音を捉える。

音の各要素を分解し、それだけに着目をして音を聞いていくのだ。

例えば、ブライトかダークかを判断するフェイズにおいては、音の内容がどうか、演奏がどうかといった部分には注目をせずに、ただ音がブライトかダークかについて神経を集中させる。

そして、何が問題か?の仮説を立てて解消をしていく。

これを繰り返す。

 

特に問題がない。

問題がないということは、つまり、正解だということだ。

そう感じる状況に至ったところで、次の段階へと進む。

2段階目 アートへのタッチ

次に先ほどの左脳的アプローチとは真逆の方法をとっていく。

心を空洞にして、音に身を委ねる。

神経を音に集中し、そのミックスの感情表現がどうしたいのか、何を望んでいるのかに耳を傾ける。

音が描き出そうとしている情景がよりリアルになるにはどうすればいいのか。

心に届くにはどうすればいいのか、より踊れるようにはどうすればいいのか。

これらを導きがあるままに従い、アートをより感じられるように音を触っていく。

これは先ほどの左脳的アプローチと違い、基本的に考えるということを媒介しない。

それゆえに、その人がどう育ったのか、何を見て何を感動するのか。
何を信じ、どう生きているのか。
それらが色濃く反映される段階であるように思う。

ひどく感覚的な話になるが、音が本当に躍動し、あるがままの表現をしたとき、それらは形容しがたい光を放つようになる。

それは視覚的に眩しい訳ではないが、似た感覚を僕は覚える。

僕に言わせれば、それこそが、音が言語を超える瞬間だ。
音が音楽たり得る理由であり、人が音楽と共に生きる根源的な理由に立ち会う瞬間となる。

残念ながら全ての作品がその領域に行けるわけではないけれど、マスタリングに至るまでの全てのプロダクションが一つの方向に向かった作品は、そのような状態に至る資格があり、資質があるように感じる。

僕の経験上、そこに至る作品は、人を行動へ導く。
その作品を契機として、人の人生を変えうる何かを持っている。

ただ、それらは残念ながら、それは必然的にそうなるものであり、意図して発生する状態ではない。このアートへのタッチの段階は、そうなるのであればそうなるし、そうならなければそうならない。

しかしながら、僕らエンジニアはそれをより伝わりやすい形に翻訳することができる。

それが、人が人ととして、アートに携わる理由だ。
そして、AIに置き換わることが起こりえない最大の理由でもある。

この段階を訓練する方法は、いくら2mixに向かっていても鍛えることができない。
それよりもむしろ、外に出かけ、感動するものに数多く触れる必要がある。
感性を豊かに持ち、心の機微を繊細に保つ。

ホンモノを実際に体験しに行く。
理解を超えたものへの心の扉を開く必要がある。

3段階目 再度のトラブルチェック

この段階では、2段階目で行なったアプローチが新たなトラブルを引き起こしてしまっている瞬間がないかどうかをチェックする。

例えば、歪んでしまっていないか、音量に騙されてしまっていないか、低域が再生システムに依存したアプローチになっていないか。メロディーがしっかりと聞き取りやすいか。

この辺りをチェックして、2段目の判断をスポイルしないかたちで、軌道修正をしていく。同時に、音が感動を運んでいるか?というところも判断をしていく。

概ねこの3段のチェックを経て、この作品がリリースしていい音であることを僕は保証している。

終わりに

この3段階ができるようには、やはり、経験が必要だ。

その上で、今日よりも明日。
明日よりも明後日。
未来には何かしらのかたちで向上をするという強い決意がなくてはいけない。

そこが緩んでしまったとき、2段目の「アートへのタッチ」をする扉が徐々に閉ざされてしまうように僕は感じている。

もしかしたら、それは音にまつわること、芸術にまつわることなら何も変わらない普遍的な真理なのかもしれない。

マスタリングは攻められる範疇が、ミックスのように広くはない。
しかし、昨日と同じことをしていないか、自分の手法は何か進んでいるか?を常に自分に問うようにしている。自戒も兼ねて。